「あ、」
閉まりそうになったドアを少女が再び開く。
「あら、ありがとう。」
「いいえー!」
少女にお礼を言い、店内に入っていく女性をその少女は笑顔で見送る。
それをただじっと眺めていた。
ホテルに辿り着き、チェックインした後は自由行動だった。その金髪の帝国人は高級そうなソファーに座っていた少女、エステルの傍まで来て、
「エステル君は謙虚なんだねぇ。」
そう唐突に言って彼女の横に座った。
「オリビエ!あれ、シェラ姉と飲むんじゃなかったの?」
「こんな昼間からは勘弁して欲しいよ…」
先ほどまで自分を探していたシェラザードを思い出す。無理強いはしない、とは彼女の場合口だけなのでは…と何度思ったことだろう。
「…シェラ君と飲むのは楽しいんだけどね。」
何度か体験したあの心地いいが悪夢とも言えるあの空間を思い出すだけで気分が暗くなる。気のせいには違いないが少し気分が悪くなり、口元に手を置くと、横に居たエステルが背中を摩ってくれた。実際に体験、見た人間にしか分からないものがある。
「大丈夫?」
「大丈夫だよエステル君。たとえ悪夢であろうとも、僕はあの楽園にいつか(まっとうな精神のまま)辿り着くのさ…!」
「悪夢じゃ意味ないでしょうが…」
横に居た少女ははぁ、と一つため息をつく。
先日合流した際に以前より元気がなくなったように思えたが、それも少し落ち着きを取り戻している気がした。
(僕と話すことで、少しはエステル君らしくなるといいんだけど。)
それは彼女の周りの人間だったら誰でもそう思うのかもしれない。
「そういえばエステル君、先ほどご婦人をエスコートしていたね。」
「ご婦人?」
一瞬きょとん、とした顔をしてしばらく考えていたが、それからとひとつ思いついたのか、ああ、と気がついた顔をした。
「エスコートっていうほどのものじゃないでしょ。ただ後ろから人が来てたら誰だってああいう風にドアを開けておくものじゃない?」
「謙虚だね。」
カチャ、とテーブルに用意されたティーカップを手に取ると紅茶のいい香りがする。
「謙虚とは何か違う気がするけど…」
そういい、彼女も用意されたティーカップにミルクと砂糖を入れ、一口飲んだ。
チラと横を見ると、熱かったのか紅茶を冷まそうと息を吹きかけている。普通に褒めようと考えていたのだが、さも当然のことだと言わんばかりに声が返ってきて、どう返したものかともう一度思案することになってしまう。
「帝国の貴族はね、」
「?」
「帝国の貴族はそういうことをしないから。」
ましてや一般市民にそういう気遣いなどしない。帝国の貴族は大抵が自分の身の回りに必死だからだ。それに貴族の多くは自分より身分の低いものを鑑みることなどしないだろう。
(そういう空気にもうんざりするんだけどねぇ…)
フ、と浅く息を吐き出すと、横に座った少女は何か考えた後に、天井を見上げた。習って上を見上げるが、そこはただの天井だった。
「―――別に帝国の人間がみんなそうだって言うわけじゃないでしょ。」
「え?」
「王国の人間だってそういうの、いるわよ。貴族がみんなそうだってわけじゃないでしょ。」
それに、オリビエは違うでしょ。」
少なくとも、そういうことに気がつけるんだから。
同時に冷めた紅茶を一気に飲み干し、ソファーから立ち上がった。
「じゃあ、あたしオーブメント調整してもらわないといけなかったから!」
そういってホテルから出て行く少女をしばらく呆然とした面持ちで見つめていた。気がつくと、少しばかり胸が早く鐘を打っているのに気がつき、右手のひらで顔を覆う。
「…不意打ちだよねぇ、アレは。」
少し笑えてきてしまう。ああ、彼はこんな気持ちなのか、じわりと広がるその温かさに笑みをこぼしながらも、今はここにいない彼に少しだけ謝った。