この世の幸福とは



「この世の幸福とは何だと思う?」

机に向かうその男の本日86回目の質問に幼馴染で監視役のミュラーは頭を痛めながら、その意味を頭の中で反芻する。
この男が何か質問をするということは、そこに何らかの意味があるはずだ。
―――大半は仕事を少しでもサボるための口実だが。
「……」
「これくらいの質問には答えてほしいんだけどね。」
意図がつかめなかったのでそのまま沈黙していたら、その沈黙という答えが気に入らなかったのか大げさにため息をつかれた。そんなことを言っている暇があるのであれば手を動かせ。お前は口が動きすぎていて手が全く動いていない。その手は飾りか。いや違う、自分と同じくちゃんと仕事をするための手のはずだ。
「俺がその質問に答えられないほど、仕事を溜めていることを自覚しているのか?」
そう問いかけると、その答えすら嘆かわしいといわんばかりにため息をつく。溜め息が尽きたいのは自分のほうだ――といいたい気持ちをぐっと抑え、机の上に書類を置いていく。なんだかんだでちゃんと仕事をしているのだ。文句は言うまい。
「そうはいってもね、こうまで書類ばかりだと僕も寂しいのさ。」
リベールを旅していた頃が懐かしい、そういう彼の前にまた書類の山を載せてやる。
「自業自得、という言葉を知っているか。」
そういうと、彼はまた一つため息をついて、黙々と作業をすすめた。
(全く、)
こうもタイプが違うというのにこの年までよくこの男と付き合っていられると思うことがある。彼曰く、全く違うタイプだからこそ、長い付き合いになっているそうだが。

外は雪だ。帝国の冬は非常に厳しく、重厚な空気がさらに周りの空気をいくらか重くする。机で黙々と仕事をしている彼は、もう以前のように気軽に王国に遊びに行けなくなるだろう。その道を選んだのが彼自身とはいえ、彼はこの先帝国の王族という牢獄に捕まるのだ。自由奔放な彼にそれは可能なのか、今でも不安が残る。
書類が大体片付け終わると、彼は街に出て行ってみようかな、といい始めた。椅子から立ち、肩を動かしながら窓際で外の様子を見ている。今夜は積もりそうだ。
「先ほどのお前の質問だが、」
そう切り出しても彼はこちらを見ない。もしかしたら、ガラスの反射でこちらの表情を見ているかもしれないが、それすら調べるのは困難だった。
「お前の幸福とは一体なんだ?」
そう問うと、彼は何も言わずに微笑んだ。そして、近くに置いてある温かそうなコートを羽織る。

「僕の幸福はね、」
部屋を出る前に彼が言ったその言葉は、聞いてはいけない気がした。

―金羊毛皮―


この世の幸福とは何だろう?――それは一つの影にすぎない。
この世の名声とは何だろう?――それは一つの夢にすぎない。