カチカチカチ。
静かな部屋に響くのはペンの芯を出し入れする、規則正しい音だけ。
「魔獣退治が5件、と。」
さらさらと慣れた手付きで気になった依頼を書き留めていく。
外がどんよりと曇り、しばらくしたら雨が降るのだろう、ひんやりとした空気が少し湿り気を帯びていて、気持ちが滅入る。
「・・・」
しばらくその不快さに手が止まる。
漆黒の艶やかな髪に琥珀の瞳。容姿も整っており、泊まっているホテルから遊撃士協会支部に来るとき、それこそ男女問わずハッとした顔で彼を見た。男性は彼が女性でないことにため息をつき、女性はホゥとした恍惚の顔をして彼に視線を送る。
顔だけでなく体つきも、しなやかでありつつ無駄のないその筋肉のつき方は、多くの男性が理想とする、まさにそれだった。彼の場合は職業柄つかざるを得ないものだったとしても。
カチリ、とまたペンの音が響く。
この街に着いたのは3日ほど前。帝国に程近いこの街は、様式もすべて帝国のような厳かなものだった。悪い言い方をするならばどこまでも重苦しいつくりともいえる。
もともと帝国は遊撃士協会がリベールほど発展していない。依頼はほとんどが魔獣退治。それがここ数日、この黒髪の青年、ヨシュアを悩ませている一つの種だった。
「魔獣退治が悪いわけじゃないんだけどね。」
実際、魔獣に困っている住人は多いのだ。帝国の環境が苛酷だというのもあるのか、出てくる魔獣の大半は凶暴で見境がない。パートナーのエステルと何件か依頼を受けたが、それは身をもって体験した。しかし、それも依頼のほとんどが魔獣退治だったからで、決して好き好んで、というわけでもない。依頼をえり好みしているのではなく、選択肢があまりにも限られていた結果だった。
『こんなに魔獣退治ばっかりだったら、』
エステルがため息と共にそういったのを覚えている。
遊撃士の仕事は魔獣退治だけではない。依頼人との触れ合いの仲でしか培えないものだって多くある。だからこそ、ここで魔獣退治ばかりしていて何か意味があるのか、と考えてしまうのも仕方がなかった。
「今日はもう帰ろうかな・・・。」
別に依頼だって受けなくても十分な蓄えがある。情報収集のためにしばらく滞在しようと考え、依頼をうけるのが一番手っ取り早いと思ったのだが、どうやら違ったようだ。
「―――あの」
「!」
不意に後ろから声がした。
(気配が、なかった―――?)
そこに経っていたのは10歳くらいになる女の子。全身黒一色のその少女はその辺りの少女よりかわいらしく、どこか不気味だった。認識した瞬間にやっと気配を感じ取ったが、その少女の瞳はまるで深淵のようで。
「これ。」
ひらり、と少女の手には手紙。宛名は、なし。
「・・・宛名がないけど?」
「私は渡せって言われただけだから。」
そういって少女はドアへと歩いていく。
「まっ・・・!」
て、と言おうと手を伸ばしたが、その少女をつかむことが出来ず、ドアから外を見ても誰も居なかった。
「・・・なん、だったんだ。」
気がつくとのどが渇いていた。唾を飲み込もうとすると、うまく飲み込めずに嫌な汗が流れる。近くのイスに座り掌を見る。右手には手紙、そして左手には、
「髪の 毛?」
その黒い髪の毛は、そういうと同時に手の間をすり抜けて消えてしまった。

「ヨシュアさん!」
ゆさ、と数回揺すられているのを身体で感じ、ハッと目が冷める。
「大丈夫ですか?凄い汗でしたよ。」
大丈夫、と返事をしようと思ったが、のどが渇いて返事がすぐに出来なかった。相手はそれに気がついたのか慌てて水を持ってくる。
「・・・ごめん、大丈夫。」
一息ついてそういうと、困ったような、そしてどこか照れを含んだ笑みを返してくれた。
彼はたしか駆け出しの遊撃士だった。そういう紹介を先日の魔獣退治の際にいわれた気もするが、あまりはっきりとは思い出せなかった。なにせ、その日だけでも数十名の人物から文字通り一気に紹介をされたのだ。ヨシュアだって普通の人間よりは優秀な頭脳を持っていたかもしれないが、人間なのだ。名前までははっきりとは思い出せなかった。
「お疲れかと思ってそっとしておいたんですけど、なんだか凄い汗をかいてらしたので。」
「そっか、ありがとう。」
人懐っこい笑みだった。どこかエステルに似ているな、とぼんやりとそんなことを考える。おせっかいといわれればそこまでだが、そこがいいところなのだ。こういう人間に、本当に弱いんじゃないかと思う。
「今日はエステルさんは?」
「エステルはリベールに報告する書類を出しに行ったよ。――もう戻ってる頃かな。」
外を見ると夕陽が沈みかけていた。もう帰らないと、心配するかもしれない。
どこからどこまでが夢だったのか、未だに区別が出来ない。
(疲れているのかもしれないな、)
イスから立ち上がり、出ようとしたときだった。
「ヨシュアさん、何か落としましたよ?」
ドクン、と音が聞こえた。次第に早くなるその音をうるさく感じ、頬の輪郭を汗が伝う。
はい、と手渡されたそれは手紙。
夢と全く同じその封筒には、しっかりと宛名があった。




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