ごめんな、と彼の主人は言った。
眉を寄せて、それでも笑おうとしながら。
そんな主人を見上げて、彼は何度も頭を振った。謝ってもらうことなんて一つもない。むしろうれしいくらいだった。最期に、主人にとって最も大切であろう役目を任されるのが、心の底から誇らしい。だから、すごく悲しいけれど。とっても辛いけれど。主人が笑っているから、彼もがんばって笑って、主人の頼みを快く受け入れた。
見上げた笑顔は、あの時とまったく変わらないようで、全然違うように見えた。
跪いて手をさし伸ばされたので、近づいていくと優しく頭をなでる。気持ちいいなと、素直にそう思った。でも、それ以上の感情はない。
全く、ない。(自分に言い聞かせるみたいに、)
手が離れていって、もう一度見上げるとその人はまだ穏やかに微笑んでいた。何度か口が開いて、何か言いたげに動いていたけれど、結局何も言えずに閉じてしまう。そんなに迷うことではない、と彼は思っていた。何を言われようと、彼が返す言葉は一つしかないのだから。
「ルーク」
呼ぶ声がして、その人は後ろを振り向いた。つられて彼も視線を向けると、その人の後ろに見知った姿を捉えた。青い軍服に身を包む、髪の少し長い男性。
「何をしているのです。ミュウは見つかりましたか?」
「ああ…」
その人が頷くと、男性はゆっくりと近づいてきてポケットから右手を出した。その手に握られていたのは、彼が季節が一巡りする間、ずっと身につけていたものだった。それを見た瞬間に思い浮かんだ姿に、彼は彼の言葉で短い祈りを呟いた。
「それでは、どうぞ。長老からソーサラーリングを借りてきましたよ」
「ありがとう、ジェイド」
礼を言って、その人はリングを受け取り、彼に向き直った。そして懐かしいそのリングを差し出して、彼につけるよう促した。断る理由なんてない。むしろ、望んだ。
ようやく言える、伝えられる。
飛びつくようにそのリングに体を通して、その人を見上げると、さっきまで躊躇っていた言葉を吐き出すように、その人は相好を崩して彼に話しかけた。その様子を、軍服を着た男性が、目を細めて観察している。彼は、男性がこれから自分がなんと言うのか、分かっているんだろうなと、なんとなくそう思った。
「…ただいま、ミュウ」
しっかりと地に足をつけて、はっきりと聞き取れるように。彼はそう心がけた。
約束を守るのだ。主人との約束は、これだけは彼にしか勤まらない。他の誰がどんな反応を返していようと、彼だけは変わらぬ答えを持っていなければならないのだ。
「はじめましてですの!僕は"ブタザル"ですの!よろしくですの!」
それが、最期に主人から託された約束なのだから。
凍りついたその人を前に、彼は怯えもせずその目を真っ直ぐに見つめていた。この後どうなろうとかまわない。殴り飛ばされようと踏みつけられようと、それこそ、命を奪われようと。
約束を果たした。いや、今も守られ続けている。
その誇りがあれば、彼は何もいらないのだ。
『俺は今から残酷なことを言う。でも、他に頼める奴がいないんだ。
もちろん断ってくれてもかまわない。これはただの我侭だから。
…ミュウ、どうか、俺を。俺のことを忘れないで。
他の誰が何を言っても、見せたとしても、俺のこと、覚えていてくれ。
それから、ごめんな。
約束の時間…季節が一巡りする間、一緒に、いてやれなくて』
『とんでもないですのご主人様!ミュウはご主人様をずっと覚えているですの!
絶対、ぜーったいに忘れないですの!』
『…ありがとう』
確かに存在した時間は、今も彼の記憶に深く刻み付けられている。
絶対に忘れない。死んでも、生まれ変わっても。彼はそう決意していた。