「トリックオアトリート!」
「…え?」
間抜けな声をあげて振り返ると、鍔広の黒いトンガリぼうしを目深に被った子どもが背後に立っていた。
知らない子どもだ。
けれどその子は、ガイの服の袖を掴んで顔を上向けている。つまり、ガイに顔を向けていた。
(仮装の…魔女?魔法使いか?)
どちらにしても、見覚えも無い姿だし、あまり聞き覚えの無い声だった。一瞬だけ何かが頭に引っかかったような気もしたが、詳しく探ろうとすると、それはするりと記憶から滑り落ちてしまった。眉根を寄せたが、ぐいぐい引っ張られる袖に、再び意識を引き戻される。
大きすぎる帽子はぶかぶかとしていて、子どもの顔を半分以上隠してしまっている。年齢は10を過ぎるか過ぎないかくらいだろうか、声音は甲高く、来ている服装からも男女どちらかという区別はつかなかった。裏地がくらい赤色をした黒いマントを引きずるようにして、その子どもはガイを見ていた。
…おそらく。帽子の鍔に隠れてしまって、瞳の向きを確認できない。
「あー…、ええと?」
戸惑いながら体の向きを変え、腰を屈めてその子の表情を覗き込もうとしたが、彼(それとも彼女だろうか?)は素早く一歩下がって帽子を両手で掴み、下に引き下げて表情を隠した。
「?」
不思議に思って首を傾げると、子どもは辛うじて見える口を開き、再び同じ言葉を発した。
「トリック、オア、トリート!」
噛んで含めるように、一つ一つをはっきり区切って口にする。別に聞こえなかったわけではないのだが。
しばらく彼とにらめっこをして(目はあってないが)考えていたが、ふと今日が特別な行事の日だったということに思い至った。買出しに来た店という店が、オレンジや黒のリボンで飾られ、カボチャをくりぬいて作られた若干不気味なランタンを置いていたので、驚いて何事なのかと店主に尋ねてみたら、簡単に概要を教えてくれた。どうやら今日は子どもに冒頭の台詞を言われたなら、お菓子をあげるのが決まりらしい。だから幾つか買っていかないかと、商売人らしく色とりどりのお菓子を勧めてきた。ふと脳裏に浮かんだ姿があったし、教えてもらった手前、その中の幾つかを買ったのだった。それは今、手提げの中に納まっている。
「トリック!オア!」
「わかったわかった」
手提げの中に腕を突っ込んで物色し、その中の飴玉らしきものを掴んで取り出すと、まだ帽子を掴んでいる子どもの前に差し出した。すると、ぱっと明るい雰囲気になって、彼は両手でそれを受け取った。まるで宝石を見るかのように、彼は自分の手の中の飴を覗き込む。
「…アメ」
先ほどの声とは正反対の小さな声で呟いて、半分しか見えない顔を嬉しそうに緩める。そしてぱっと顔を上げると、ガイに向けてにこりと微笑んだ。
「ありがとう」
帽子から覗く赤い髪に、そのとき初めて気がついた。
緑色の瞳がきらりと輝く。
「おまえ、…!」
礼を言うと同時に、走り去ろうとする子どもの腕を取ろうとして失敗する。手に触れたのは、辛うじて黒いマントだけだった。それすらも、掴めないまま指をすり抜ける。
「ルーク?! 頼む、待ってくれ…!」
叫ぶと、離れた場所で彼は振り返った。帽子を取り、中に納めてられていたらしい長い髪が肩に滑り落ちる。夕闇に解けそうな色合いが広がった。
「……ありがとな、ガイ」
子どもらしくない笑みを浮かべると、彼は再び背を向けて走り出し、何度呼んでも二度と振り向くことは無かった。
後にはただ、夕暮れに沈む雑踏の、賑やかなざわめきだけが残されていた。