「あんたが神さまじゃなくて良かったよ」
唐突と言えば唐突に、同室の男はそんな事を口走った。
あんた、とは誰のことだろうかと、考える必要もないことを数瞬かけて理解する。今日同室になったのは三人だが、そのうちの一人は今席をはずしている。ならば、二人のうち一人がこの場にいる誰を指すかと言えばそれはもう一人に、即ちジェイド自身に違いない。回りくどく思考して、ようやく彼は一度瞬いた。珍しいことだと思ったのだ。
「どうしたんですか、突然」
「いや、」
そう思っただけだと、男は低く声を立てて笑った。ジェイドは首を傾げる。
最近では必要最低限の会話しかしない男が、いま何故か機嫌良さそうに笑っている。憎しみとまではいかないが、恨めしげな視線すら向けられたことがあるというのに、いったい何があったのだろうか。
鼻歌すら聞こえだしそうな雰囲気で、同室の男、ガイは裁縫仕事をしていた。白い布に茶色のボタンを縫い付けるだけという簡単なものだったが、彼はそれを最上の至福とでも思っているのか嬉しげだ。時折白い布を意味もなく撫でたりしている。これが彼自身の服だったなら、裁縫好きなのかナルシストなのか悩むところだが、ガイの手によって縫われている服は彼の主人のものだった。ガイは時折その主人に異様なほどの執着を見せる。ここ最近では拍車がかかっているようにも感じた。
ああ、そういえばボタンが取れたから縫ってくれ、と言った彼の主人に、ジェイドは何故自分で縫わないのかと問うた。そのときのガイの目と言ったらない。普段女性陣が褒め称える紳士的な表情や態度を、どこへかなぐり捨ててきたのかと思うほど、鋭利な刃に似た視線を向けられた。彼の主人はと言うと、目に見えて萎れていた。出来たらいいんだけど、と針を手に持ったものの、針穴に糸を通すことすら出来なかった。結局指を刺す前にとガイによって針を取り上げられてからは、居たたまれなくなったのか部屋を出て行った。その際ジェイドに今度裁縫の仕方を教えてくれと耳打ちして行ったのだが、それを目撃していたガイにまた睨まれた。ただ本当に疑問に思っただけで彼らの仲にけちをつけようと思ったわけではないのだが、やれやれ難儀な主従がいたものだ。
そんなことがあったからこそ、現在のガイの機嫌はおかしいように思えた。
「私が神だったら、どうだと?」
「最悪だ。あんた創るだけ創って、適当に放棄しそうじゃないか」
「おや、わたしは責任感のある方だと思いますが」
「だからこそ駄目なんだ。責任もって滅ぼしそうだからな」
「……ふむ」
なるほど、的を射ているかもしれない。
頷くと、ガイはまた低く笑う。ああ良かった、と繰り返して、縫い終わったのか主人の服を目の前に掲げた。角度によってジェイドからガイの表情は見えなくなる。笑いを含む声が、白い服に遮られることなくはっきりと彼の元へ届いた。
「人間なら殺せるしな」
「ああ…」
そういうことかと得心する。ジェイドが見つめる中、ガイはゆっくりと掲げた服を下ろし表情を晒す。笑顔の一枚下に渦巻く狂気が、静かに視線を伝って目を灼いた。
つまり、ガイはジェイドが彼の手で作り出した存在を、責任もって滅ぼそうとすることを危惧していたのだ。どうすれば止められるか考えて、何のことはない、もっとも手っ取り早い方法を思いついたのだろう。それだけだ。
「それは、覚悟しないといけませんね」
「そうだな、覚悟しといてくれよ」
相変わらず笑顔の好青年が、その貌のまま己に刃を突きつける様を想像して、ジェイドもまた笑顔を形作った。
なんて、愚かな男なのだろう。