白い布の上に両足を投げ出して、見た目十歳の子どもはきょとんとしてガイを見上げていた。
快晴。風はそよ風程度に吹き、脇に設置された花壇から僅かに春の匂いを運んでくる。庭に広げられた布は縦横が子どもの身長ほどもある大きなもので、日の光が反射して眩しいほど白い。目立つ赤のコントラストは子どもの髪。花壇の草花と同じほど鮮やかな緑が二つ、ぱちくりと瞬く。
「がい、おべんきょう、は?」
「今日はちょっと休憩だ。たまには息抜きが必要だろ?」
「いきぬき」
「そ」
にっこり笑って、広げた布の横に置いた箱の蓋を開ける。中には色とりどりのクレヨンが入っていて、そのうちの一つを適当に選び子どもの手に握らせた。子どもはぽかんとした表情で口を開けて、渡されたクレヨンとガイを交互に見比べて首をかしげた。手の中のものをいったいどうすれば良いのか分からないのだろう。
「ルーク。これは、クレヨン、だ」
「くれよん」
「ああ。これをこうして布に押し付けて…」
「あお!きれい、おなじいろ!」
「そうそう。これで好きなものをここに描くんだよ」
左に握った手を布に導いてやると、そこに鮮やかに色が広がった。青。海の色。(ルークの知らない)
クレヨンの箱を見せてやると、ルークは顔を輝かせてそれをひったくった。そして整頓して納められていたクレヨンを荒っぽく布の上に放り投げ始める。教えたばかりの色の名を歌うように口にしながら、分からない色は言葉を濁し、その度にガイがそれは何色、と教えてやる。一通り広げ終わると、今度は両手にクレヨンを握って布に色をつけ始めた。最初は特に意味もなく書き殴っていたようだが、ガイが端に花の絵を描いてやると、真似るようにいびつに歪んだ花柄を量産し始めた。
それが何とも可笑しかった。
「ルーク、別に花だけじゃなくて良いんだぞ。動物とか、人とか…何でも好きなもの描けって」
「すきなもの?」
「ルークは何が好きだ?」
「けーき!」
「じゃ、ほら、描いてみな」
促すと、ルークは頷いて、減ってきた白い部分にクレヨンを持って飛びついた。黄色で丸く円を描き、その上に赤い点を散りばめる。次は茶色、その次は白。ケーキ、ケーキと呟きながら、機嫌良さそうにルークは歌う。ガイは息を吐きながら笑って、布の横に寝転がった。
「終わったら呼べよ、俺も息抜き、だ」
「うん!」
元気な返事を聞きながら、ガイはゆっくりと目蓋を閉じた。
寝るつもりではなかったが、あまりの気候の心地よさに、つい意識を手放してしまったようだった。目を開けると空はほんの少しだけ暗くなってきており、かなりの時間が過ぎてしまっていたことを知る。
慌てて身を起こすと、傍らに暖かい感触があった。身を捻ってみると、身体を丸めた少年が静かに寝息を立てているところだった。
「…ルーク?」
思わず名を呼び、はっと口を塞ぐ。気持ち良さそうに寝ているのだから、起こすのは悪い。慎重に身を離して、起こさないように抱き上げた。思いのほか深く眠っているようで、子どもが目を覚ますことはなかった。
できるだけ強く抱いて、小さな身体が冷えていないか確かめる。春とはいえ夕方近くになると気温は下がる。これで風邪でもひこうものなら一大事だ。メイドたちも気付いていただろうに、教えてくれればよかったのに。俺がいるから大丈夫だとでも思ったのだろうか。近づかれれば過剰反応する我が身を棚に上げて、ガイは少しだけ眉根を寄せた。
「…ん」
ふと、広げられたままの布に目を移す。
それはもう白い部分は見当たらないほどに色を塗りたくられ、二度と同じ白には戻れないであろう事を如実に表していた。もともとゴミとして出されるところだったものを貰ってきたので支障はないが、洗ってもう一度使えやしないかという希望は見事に砕かれた。子どもの力を見くびっていた。深くため息を吐く。
仕方ないかと呟いて、抱き上げた子どもを落とさないように布を拾い上げた。そして、その裏にもまた何か描かれていることに気付く。赤と、肌色と、青、緑。
「人間…?」
ひっくり返して広げてみると、それはよく見ると確かに人の形をしていた。色彩からして、これは。
「…好きなもの、ね」
ガイは目を細めて口の端を上げた。
赤い髪の人間が二人、これはきっと公爵と夫人だろう。殆ど接触がないため懐いているようには思えなかったが、子どもにとってやはり親とは好きなものに分類されるらしい。沢山の色で飾られた服の部分とは裏腹に、顔に目も鼻も口もない。今のところルークに認識されているのは自分と同じ髪の色だけらしい。微妙な感情が湧き上がったが、一応それは押さえ込んでおいた。軽く頭を振って、更に描かれた人物に目を向ける。
最後に見たときよりいくぶんかましになった花々に囲まれた、目と口が半円の人物。これはおそらくペールだろう。ルークは何度注意してもペールと話すのをやめないと、ラムダスが嘆いていたのを漏れ聞いたことがある。ガイは無意識に抱き上げたルークの頭を撫でた。
そして。
中心に、小さい赤い髪の人間と、それより少しだけ大きめの金髪の人物。二人とも笑顔で、しっかりと手を繋いでいる様子だった(非常に分かりにくくはあったが)。これは、おそらく、
「…………」
抱き上げた子どもはすやすやと眠り、その身体はとても温かい。
ずしりと、腕に生きる重みが加わったような気がして、ガイは何とも言えず天を仰いだ。
これじゃ、捨てるに捨てられない。