今更どちらが本物で偽者かなんて問答するつもりはないけれど(問答するまでもないことだからだ)、俺の体が元のまま戻ってこなかったのは、ある意味好都合だったのかもしれない。
もしも俺達があの旅が終る直前の、少しも損なわれない青年のままの姿だったとしたら、俺達はまた何度も言葉を戦わせ、あるいは罵りあい、悪ければ殴り合いになっていたかもしれないからだ。

即ち、正当なる跡継ぎはどちらか。

俺があいつのレプリカであることは、父上も母上も、何年もの間婚約者として支えてくれたナタリアも、その父である国王も知っていることだ。レプリカとは、被験者から作られたそっくりの別物なわけで、有り体に言ってしまえば偽者だ。こう言うと皆して微妙な顔をするが、そういう感情的なところを排除するとそれはまず間違いないことのはずだ。例えば何も知らない他人に図に書き記して理解を促せば、なんの疑問もなく納得してくれることだと思う。
まあそんな訳で、俺はファブレ家を継ぐ男児には為り得ないと、それは動かしようもない事実なのだ。
なのに、あいつはそれを否定する。
もうそこは俺の居場所ではないとか、自分はアッシュであってルークではないとか、屑が!とか(なんで罵られるんだ)、よく分らないが、あいつに与えられている責任を逃れようとする。いや、逃れるんじゃなくて、もしかしたら…俺はありえないと思うんだけどジェイドがそう言ってたからそうなのか…俺への遠慮なのかもしれない(でもたぶんからかってただけだと思う)。
とにかく、遠慮だとか同情だとか俺にはそんなもの必要ない。俺が知らずに奪っていたものを丁重に返してやろうというだけなんだ。それなのに礼ひとつ言わないなんてなんて奴だ。あれ、謝るべきは俺か。でも謝ったらここぞとばかりに罵られそうだ。嫌だ。
まあ俺も、あいつにありがとうと言われたら言われたで心に傷を負いそうだが。

「こんな姿の俺が、認められるとでも思ってるのか?」
「うるせえ」
「もう諦めろよ。似合ってるぞアッシュー」
「うるせえ!」
花瓶を投げられた。 隣に居たガイがすかさず叩き落してくれたが、派手な音立てて砕けたそれを見て、アッシュの着替えを手伝っていたメイドがヒッと息を呑んで真っ青になる。それをちらりと横目で見たアッシュは、いくらか後悔した顔つきになって、聴こえるか聴こえないかくらいの声量で謝罪を口にしていた。無論、俺達にではない。
メイドは辛うじて涙を堪えているといった様子で頷いたが、新しいご主人様の第一印象はおそらく最低位置にマークされただろう。俺はざまあ見ろと思ったが、そうなったのは半分くらいは俺のせいだ。俺もあとで謝っておこう。ついでにアッシュは機嫌が悪くなると破壊衝動に駆られるから気をつけろと注意しておこう。
「おい屑。余計なことを吹き込もうとするなよ」
「…おまえ、いい加減に俺の思考盗み読むの止めろよ」
「読んでない屑が。その面見れば分るんだよ」
嘘だ。
…たぶん。俺の顔はそんなに雄弁に語らない。…たぶん。
本当は分らないのだ。いまだに俺とあいつがまだ繋がっているのかどうか。読まれていたら面倒で止めてくれと思うのだが、完全に切れていたとしたら、それはそれで少し寂しいものがある。気がする。言ったら殴られそうだし心配されそうだから(頭の)言わないけれど。

「なあガイ、そういえばおまえ帰らないのかよ」
これ以上邪魔をしてメイドを怯えさせるのはどうかと思ったので、なぜか剣を携えて隣に控えていたガイに疑問をぶつけてみた。剣を持ってる理由は念のためといっていたが、何を警戒しているのかはよく分らない。それがあるおかげで先ほど俺は花瓶をぶつけられずに済んだのだが。
「ん?ああ、久し振りにキムラスカを見て回る予定で休暇を取ってきたからな。アッシュの、あの……面白い格好が披露されるまでは留まるつもりだ」
相変わらず爽やかな笑顔だが、言葉には何か得体の知れないものが含まれている。正装を面白い格好と言うのも何だか変だ。俺だって同じような服着たことあるんだけどな。面白い格好だっただろうか。
首をかしげていると、ひょいと伸びてきた手が俺の襟を少々いじった。
「曲がってるぞ」
「苦しいんだよなこれ…緩めたい」
「我慢しろ、似合ってるぞ」
「そう言われるのも微妙なんだけど」
自分の体を見下ろしてみると、上等な布地を使い、きらきらとした飾り紐やレースをふんだんにあしらった…子供服を着ている自分に行き着く。前ならこんなちょっと可愛らしく結ばれたリボンなんて必要なかったし、靴はもっと丈夫でしっかりとしたつくりのものであって、断じてこんなふわふわとした素材で柔らかく地を踏むものではなかったはずだ。歩くとバランスを崩しそうになる。それはこの体になってから何度も経験したことだけれど。
「別に俺がこんな格好する必要ないんじゃないか?」
「まあまあ。おまえも一応出席するんだから」
なだめるように頭に手を置かれる。他の誰かだったら子ども扱いするなと暴れるところだが、ガイはもう長い付き合いだし、俺のこと子ども扱いするのには慣れている。ぽんぽんと頭の上で軽く跳ねて、今も昔も(色々な紆余曲折はあったが)俺のことを優しく守ってくれる手は、変わらない穏やかさで俺の頬に触れた。
「しっかりと見届けてやろうぜ。ファブレ家跡継ぎの雄姿をな」

視線を戻すと、相変わらず不機嫌そうな顔をしたアッシュは、俺と同じほどきらきらした服を身に纏い、けれど俺よりずっと凛とした姿で鏡の前に立っていた。

「…ああ。本当に似合ってる」

少しだけ胸の奥が痛い。
今は居ない大切な人が笑っているような気がした。
そこは間違いなく俺のものではなく、アッシュの居場所だった。
それを思い知った気分だ。


鏡越しに目があったので笑って見せたら、アッシュは微妙な顔をした。
俺はまた上手く笑えなかったのかもしれない。





【lento】(レント)
(ゆるやかに。)





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