雨の音が聞こえる。
あぁ、これは夢だ…。目の前はただ真っ暗な闇が広がっている。
「じゃぁヨシュア…。行ってくるね。」夢の中の真っ暗な世界で、
――声が、聞こえた――
ふと、急に降り出した雨の音で目を覚ます。昨日の雲からも予想できたことだが、予想していたよりも雨は強く、そして長く降りそうだった。
「そういえば、何でベッドで寝ているんだ…?」
今日は日曜学校の日のはずだ。居候(まぁ連れてこられた、とも言うが…。)先のブライト家の人たち(主に娘のほう)に半強制的に行くように言われて行ってはいるが、確か今日の…はずだよ…な。自分の記憶に確信が持てない。なんだか頭がボーっとする。
「悩んでいても仕方ないか。まずはベットから起きて状況を…。」
……?体の様子がおかしい。妙に重いというか、さっきから頭もずきずきする…。
「…?何だ…、これ?」
今ごろ気付いたが、おでこに濡れたタオルが置いてある。濡れてはいるが、熱で暖かくなり熱を冷ます効果はとっくの昔になくなっていることが分かる…。いつ置かれたんだろう。重く働こうとしない頭を必死に働かし、記憶を手繰り寄せる。
「そういえば…。」
確か今日、自分はくらくらする体に鞭を打ち、彼女との約束を果たすために朝早く起きたのだった。まだ傷も治りきっておらず、本調子とはいえないがどうにか動くようになった体を動かし、階段を一段ずつ下りていった。
「おはよう!ヨシュ…。」
いつもの元気な声(元気すぎるのが困りものだが…。)が聞こえてくる。ちょうど階段のところで出くわした彼女は、エステル・ブライト。僕がこの家に来るきっかけともなったカシウス・ブライトの一人娘だ。どうして僕がこの家に来ることになったのか…。それはまた、別の機会に話すとして…。
「……?どうかしたの?人の顔じーっとみて。」
穴があかんばかりにじーっと人の顔を見ているエステルにちょっとぶっきらぼうに言う。
何だかこの瞳に自分を見られるのは嫌いだった。まるで自分の過去、未来までも見られてしまいそうで…。彼女みたいな人に自分を見られるのは少し…、いやとても嫌だった。自分のように闇の中で生きてきた化け物、いや人形か…。しかも両手、そして全身血で染まっている操り人形の僕…。彼女の澄んだ紅い目に見られるのは抵抗があった。まるで女神を前にしているかのようで…。ずっと見ていたら自分の罪をすべて告白してしまいそうで…。
「ねぇヨシュア…。昨日、私が言ったこと覚えてる?」
彼女のおそるおそる言う声にはっとする。まだこの家にきて一ヶ月くらいしかたっていないというのに、こんなに気を抜いてしまうなんて…。この家、いやここの人たちはそんな雰囲気がある。いや、いまはのんびり考えている暇はない。早く彼女に返事を…。
あ……。
気がついたら、彼女の顔がまじかにあった…。全思考が停止する…。ひんやりとした彼女の手が、僕のおでこに当たる…。
「やっぱり熱があるじゃない!!!昨日あれほどゆっくり休むように言ったのに!」
彼女の顔がすーっと離れてゆく。そういえば、昨日夕食が終わった後に彼女がそんなことを言っていた気がするな…。気にもとめていなかった。そんなことより彼女から早く離れたくて…、離れたくなくて…。自分の変な気持ちをどうにかしたくて…。でも、解決する方法なんて分からなくて…。
「…ごめん…。」
ふいに謝罪のことばを言われなんとも表現しにくい顔をする彼女に微笑む(何で微笑もうとしたのか…。心配かけないつもりだったのか?)あれ…?くらくらする…。
「!!!!!ヨシュアっっ?!」
ひどく驚いた声で、彼女が僕の名前を呼ぶ。その後、朦朧とする意識の中で、泣きながら彼女が必死にベットに僕を運び(カシウスさん…いや父さんもいなかったから)、日曜学校に行くぎりぎりまで必死に寝ている僕に声をかけたり、タオルで熱を冷まそうとしてくれたり。まるで死んでしまうんじゃないかというような声は逆に僕を心配させた。そして彼女はどうしても日曜学校に行かなくてはいけなくなってしまったことを深く詫びた。
「……。大丈夫だから。」
こんなことしかいえない自分を申し訳なく思いながら…。僕は深い眠りのそこに落ちていった…。
「いつから降りだしたんだろう…。朝は降ってなかったけど…。」
降るとはいっていたものの、頭がボーっとしていたこともあってか、ここまでとは予想できなかった…。ふらつく足で窓の近くまで行き窓を開ける。ひんやりとした空気が熱っぽい体に心地よい…。しかし…、それより寒さが勝る。すぐに窓を閉め、一階に下りてみた。
「まさかね…。」
いや、彼女だったらありえるだろう。僕の看病に気を取られ、傘を…。
「忘れてる…。」
この雨じゃあ、傘なしで帰って来ようものなら絶対に風邪をひく!!!人のことより自分のことを心配してくれ…。
「仕方ないか…」
これはもう決まった運命のような…そんなものだ…。朝よりもだいぶましになったとはいえ、まだふらつく体に鞭を打つ。自分にこんなにがんばろうとする気力があるなんて…、と苦笑しながら、いやそれも彼女のせいなのか…。結社にいた頃の自分が嘘のようだった。
「とにかく急がないと…。もう日曜学校が終わって結構たってそうだし。」
雨の日は時間がわかりにくい。だが、もう夕方といえる時刻に入っているだろう。
急いで家を出る。さっきより激しさを増す雨の中を…。
やっと、ロレント市内についた。雨の強さは弱くなったといってもまだまだ強い部類に入る。ひととおりの場所はいってみた。だがどこにもいない。
「エステル…。どこだろう…。」
きっと教会にはいないだろう。彼女が今日日曜学校に行った理由は、きっと全然違うところにあるはずだ…(昨日、様子が変だったし。)だけど、やっぱりまずは教会に行ってみるべきだ。教会長さんは僕が。いや知ってるか。エステルが言っているに違いない。ふらつく足取りで教会に急ぐ。
「こんにちは…。あの…。」
ばっと中にいる子どもたちの目線が刺さる。昔だったらなんともなかった目線も、少し痛い…。
「あぁ、ヨシュア君でしたか。エステル君から話を聞いてしますよ。今日は体調不良だと聞いていましたが…?
大丈夫?顔が真っ青だけど…。僕の体調を気遣うシスターの声がぼやけて聞こえる。
エステルは…、いない。しっかりしろ!自分に言い聞かせる。体が少しずつ悲鳴をあげ始めているのが分かった。
「あぁ、エステル君はすぐに帰りましたよ?」
教会長さんのそのひとことが体にさらに重みを与えた。
「そうですか…。ありがとうございました。」
「ちょっと!ヨシュア君ふらふらじゃない!待ち…」
シスターがことばを言い終わる前に教会を出る。どうしてこんなに一生懸命になっているんだろう…。彼女は他人じゃないか。看病してくれたから…?そんな理由じゃない…。僕は…僕は、彼女が………彼女のことが……………?
「ヨシュア…?ヨシュア何やってるの…?」
はっとして前を見ると
「エステル…」
時計塔から出てきた…。……?元気がないような………。
「!!!!!」
エステルがびっくりした顔をして、何かを思い出したようだった。
「……?」
「ヨシュアだめじゃない!寝とかないと!!!!!!」
そんなことを言いながらずるずる教会に連れて行かれる……。
そのあと、教会長さんから薬をもらうはずだったこと。ちょっと用事があって帰るのがおくれたこと、何で家で安静にしていなかったのか。そういったことをエステルから言われ、最後に……。
「傘ね…。ありがとう。困ってたんだ。えへへ。」
はにかんだ笑顔がかわいくて、うれしかった。
結局、時計塔から出てきたエステルがどうしてあんな表情だったのか…。聞くことが出来なかった。いや、聞けなかった。あんな…、つらそうな、ううん…、自分を責めて………………………。
家に帰り着くと、まずはもちろんベットに寝かされた。朝より病状はひどくて…、くらくらするどころじゃなかった。薬を飲み(飲まされ)、エステルががんばって看病してくれる中で……、眠りについた…………。
深夜、ふと目がさめた。熱はすっかり引いたようだった。ベッドの上には、エステルからのプレゼントがあった。
『ヨシュアが家にきてくれてすごくうれしい。うーんと…、とってもうれしい!!!』
エステルらしい素直な感想がそこには書かれていた…。その横には看病に疲れて寝てしまったのだろう、エステルがすやすやと寝息をたてていた。
「くすっ………。」
!!!!自分で自分にびっくりしてしまう。なんで…?今、ぼくは…?
ここは…、痛みを思い出させる…。ハーメルにいた頃。みんなと平和に何も考えず暮らしていた……。そう、あのころ…。
もう…。こんな日々…。こないと思っていたのに…。
そんなときだった。
「お母さん…。」
…?寝言…?お母さん…?
今日時計塔から出てきたエステル…。泣いてなかった?意識が朦朧としていたからわからないけど…。
「…ごめんね…。」
そっと…、エステルの髪をなでる。さらさらして…、きっと太陽に当たったらりすると、きらきら透き通って見えるんだろうなぁ…。そんなことを考えても…。自分の過去は消えることはない。いつか彼女にも話す日がくるんだろうか…。
そうしたら彼女はどんな顔をして…。僕を見るのだろうか。
化け物を見るような顔をするんだろうか…。それとも…………………?
彼女に今、いやきっと会ったときから芽生えていたこの気持ちをつたえられるんだろうか。
もし…。もし…………。
こんな僕でも……。
また雨が降り出した…。でも、全然強い雨じゃなくて…。やさしく、まるで僕を包んでくれるような雨だった…。
雨の音で目が覚めた。そして理解した。あぁ、僕は夢を見ていたんだ…。
あの頃の……。
「今何時くらいだろう…」
一階に下りると、一枚の書置きがあった。
『買い物にいってきます。午前中には帰れるかも? エステル』
もう午後…。しかも雨…。傘置いていってるし。成長しないなぁ…。
「まぁ、そんなところがエステルらしいか…。」
つい笑ってしまう。傘を届けに行くか…。
ロレントまで行くと案の定彼女は店の軒下で雨がやまないか待っている彼女がいた。
「!!!!ヨシュア いいタイミング!!!!」
早速発見されてしまった。しょうがない、傘を渡すか…。
「いいかげん、雨の降りそうな日は傘を持っていくようにしてくれない?」
おもいっきりわらっておく。いやみを含めるように。まぁ、これで彼女のうっかりが直ったら苦労はしないんだけどな…。
「うん、わかったー。はい、これでお母さんが待っている所にいけるね!」
え?
「あ…、ありがとう!!!!」
気がつかなかった…。そうか…、だからか……。
もともとエステルは僕が来ることを…。
「…?怒った?」
「いや…。あいかわらずすごいなぁ…、と思って。ふふっ、君には本当にかなわないなぁ!!!」
笑い始める僕を見て、???と言ったエステルの顔。でもいいんだ。これで…。こんな日々が続けばいいのに…。夢でもいい…、こんな夢だったら一生覚めないでくれ…。
「…?もういいけど…。帰ろう?さむい〜!!!」
「はははっ!!!あ〜ごめん!帰ろうか。」
なんとか笑いを止め…?ん…?
「エステル…。なんで僕と腕組むの…?」
「だって濡れるし…。うーんとね、あれよ!ヨシュアに彼女ができたときの予行練習!!!」
結構どきどきするのですが…。この気持ちにエステルは気付く日がくるのか…。
エステルは何も知らない。僕の過去、そしてこの気持ちにも…。それでもいいのかもしれない。いつかエステルが…。なんて考えは…。
(このままぎゅっと抱きしめたりしたらエステルはなんていうんだろう…。)
ありえないことを考えて、自分で笑ってしまう。
「んー?どうしたの?何、考え事?お姉さんに相談とてみなさい!!!」
「言っとくけど、君のことお姉さんだなんて思ったことないからね?」
にっこり笑って言っておく。何よー!人が心配してるのにー!!!なんて横でぶつくさ言うエステルを見て、また笑ってしまう。
組んでいる腕からエステルの温かさが、何だか伝わってくるみたいで…。つい組んでいる腕に力が加わる。
「こーら!そんなに強くしたら怒られるよ?私は大丈夫だけど、普通の女子は痛がる!」
「ん、あぁごめん…。って今の言い方じゃ、君は普通の女の子じゃないような言い方になるよ。君こそ気をつけたほうがいいんじゃない?」
もうかわいくないんだから!なんて言うエステル…。また笑ってしまう。
「いや、君にかわいいなんて言われてもなぁ…。」
出来れば、頼りがいのある…とか、いやエステルにそんな言葉期待しても無駄かな…?
「雨…、結構降りそうだね…。」
「……そうだね。」
そういえば、エステルは覚えているかな。あの日のこと…。
「ねぇエステル…。」
「んー?なに?」
覚えている……?あの日君のお父さんに会って、君に出会えた。それは感謝するべきことだよね……。
「出会って一ヶ月くらいの頃さ…。」
今も昔も…、雨は…ずっと…僕を包み込んでくれた。